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2007年7月22日 (日)

神楽坂界隈

今日は義兄からチケットを頂いたので、飯田橋のトッパンホールまで大阪男声合唱団の東京公演を聴きに行ってきた。この合唱団は大阪大学男声合唱団のOB合唱団で東京での演奏会は初めてだそうだ。トッパンホールでの演奏会を聴くのは初めてだったが、客席数400名強で床、壁に木を多く使っていて音響も素晴らしいホールだった。団員数は50名位、メンバーはかなりの高齢で、見た感じではおそらく平均年齢は60歳は超えているようだった。男声合唱全盛期の頃学生だった人達が、定年を迎えまた歌いだす人が多いのだろう。客席も大学のOBや家族など殆ど関係者のようで年配の方が多かった。開演10分前には客席が全部埋まってしまうほどの超満員の盛況で、遅れて来て入場できなかった人もたくさんいたようだった。私が以前所属していた合唱団の演奏会では客席数600名程のホールに聴きに来る人は200名位で3分の2は空席の寂しい演奏会だったので、満員の聴衆の前で歌えることはうらやましい限りだ。演奏も高齢の合唱団にしては声も美しく男声合唱の迫力満点の素晴らしい演奏だった。それもそのはず、各パート2~3名、計10数名のプロの助っ人が歌っていた。曲目も懐かしい男声合唱定番の多田武彦作曲「富士山」、最近売れっ子の作曲家信長貴富の「思い出すために」、J.シュトラウスのワルツ集と親しみやすい選曲だった。

前置が長くなってしまったが演奏会後、本題の神楽坂界隈を歩いてきた。

Img_1826 毘沙門天(善国寺)

神楽坂祭りが近いので神楽坂通りやお寺にもちょうちんが飾ってあった。山の手七福神のひとつで、江戸中期の寛政4年に麹町より移転してきた日蓮宗池上本門寺の末寺である。

Img_1827神楽坂通り

神楽坂のメインストリートで、昔はもっと急坂で階段状になっていたらしい。その後削られて現在のような坂道になったようだ。

Img_1828 神楽坂若宮八幡宮

源頼朝が東北の藤原氏と義経討伐の折この地で下馬し祈願したとされ、この地に鎌倉の鶴岡八幡宮の御神体を勧請けした由緒ある社。

Img_1830 小栗横町の銭湯

今でも路地に入ると昔懐かしい町並みがある。銭湯も今ではあまり見かけなくなってしまった。かぐやひめの「神田川」の歌の世界はもう今ではなくなってしまったのが寂しい想いだ。現在は入湯料、大人430円。ずいぶん高くなったものだ。

Img_1831 芸者新道

お座敷に出る御姐さん達が一刻を争ってこの道を近道に利用したことからこの名が付いたそうだ。

Img_1833 かくれんぼ横丁

最も神楽坂らしい雰囲気の路地のひとつ。石畳と黒塀は神楽坂ならではのもの。

Img_1834 粋な黒塀

一歩路地に入るとこのような黒塀の料亭があり、いかにも芸者さんが着物姿で石畳を下駄の音を鳴らして歩く姿が目に浮かんでくる。

Img_1838

光照寺(牛込城跡)

旧牛込城本丸跡地にあるこの寺は、もともと神田にあった。

Img_1840 宮城道雄記念館

お琴の宮城道雄が生前住んでいた日本家屋が隣に残されている。

10年以上前に宮城道雄作曲の「日蓮」というバリトンソロと合唱付きの琴アンサンブルの曲の練習で何度かここに来たことがある。

国立劇場での琴の宮城流の発表会で「日蓮」を演奏するというので、助っ人で参加したが、琴のソロは宮城流家元、琴は師範級、尺八、胡弓、笙、など邦楽界の一流のメンバーとの共演で貴重な体験をすることができた。

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