カトリック片瀬教会
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5月5日は子供の日。男の子の節句、端午の節句だ。急に暑くなるこの時期は、昔から病気にかかりやすく亡くなる人が多かった。その為5月を「毒月」と呼び厄除け、毒除けをする意味で菖蒲やヨモギの葉を門に刺し、薬用酒や肉粽(ちまき)を飲食して健康増進を祈願したといわれている。
端午とは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味で、5月に限ったものではなかったが、午(ご)と五(ご)の音が同じことから毎月5日を指すようになり、やがて5月5日になった。
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狛江市むいから民家園に飾ってあった五月人形(武者人形)の五段飾り。
桃の節句の雛飾りも今では狭い住宅事情では飾るスペースが無くなってしまったのか、飾ることも少なくなってしまったが、五月人形の五段飾りは今では殆ど見かけなくなってしまった。私が子供の頃も五月人形は鎧兜だけとか「日本一」の旗を持った桃太郎の人形を飾るくらいだった。
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次大夫堀公園民家園に飾ってあった五月人形の三段飾り。五月人形(武者人形)の三段飾りは、上段の後ろに金屏風を立てて中央に鎧兜、左右に弓矢と太刀を飾る。二段目の中央に太鼓、右に陣笠、左に軍扇を、さらにその左右に座敷のぼりを立てる。三段目の両脇にかがり火を立て、中央に菖蒲酒、左右に粽(ちまき)と柏餅を供えるのが正式な飾り方だとされている。
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世田谷区喜多見にある次大夫堀公園の一角に民家園があり、区指定有形文化財の名主屋敷、民家など江戸時代後期から明治にかけての農村風景を再現している。
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区内喜多見の登戸道、笩道の主要な道が交わるところに建っていたこの家は、農業のほかにも商いも営む半農半商の家だった。
家の造りにも、町場で見られる店造りの形式になっている。
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江戸時代後期に建てられた旧大蔵村の名主家。家が繁栄し、屋敷構えが整ったと推定される明治中期の姿に復元されている。
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区内深沢に会ったこの土蔵は、文政13年(1830)頃に建てられた。
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区内深沢にあったこの表門は、天保9年(1838)に建てられた。
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端午の節句には庭に鯉のぼりの他に家紋入りの武者幟(のぼり)をあげた。
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やぐらの半鐘は、元々宇奈根地区で使われていたもの。
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調布市郷土博物館で懐かしき、あの日、あの時~団塊の世代の昭和~と題して昭和30年代の懐かしい品を展示しているので、見に行ってきた。
私が子供の頃遊んだものや、使ったもの、見たものばかりが展示してあった。
鏡台、扇風機、足踏みミシン、箪笥、箪笥の上にラジオ、白黒テレビ、ダイヤル式黒電話、魔法瓶、ちゃぶ台
外側は木製、内側はとたん板になっていて上の扉の中に氷を入れ、下の扉の中に食品を入れる。毎日氷屋さんが氷を配達に来た。
学生時代から会社に入った頃はまだそろばんと計算尺で計算していたものだ。この手回し式計算機も会社に数台しかなく、計算するのに随分時間を要したものだ。今では空調負荷計算はコンピューターで簡単に計算出来るが、負荷計算用紙でそろばんと計算尺を使っての手計算だったので大変だった。
謄写版。
油紙をヤスリの上にのせ鉄筆で字を書き油紙をこの謄写版に貼り付けインクをつけたローラーでわら半紙に印刷した。小学校の頃はまだコピーも無い頃で学校のテストやプリントは全部謄写版で印刷していた。卒業文集もガリ版刷りだった。そういえば大学時代のグリークラブ(男声合唱団)で使った楽譜もガリ版刷りだった。楽譜係りは1ページを数時間もかけて原紙をつくり謄写版で印刷していたものだ。
子供の頃よく遊んだベーゴマ。
布を張った丸い桶で敵のベーゴマ(鉄のこま)をはじき飛ばすとコマが自分のものになる。
めんこをはたいて相手のめんこを裏返すか相手のめんこの下に入れると自分のものになる。
バネがついていて両足を乗せ、上下に飛び跳ねるだけの単純なあそび。
他にも当時はフラフープ、竹馬、などでもよく遊んだものだ。
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